深夜3時。
日中の賑わいが嘘のように静まった司令室で、パチパチとキーボードを叩くリズミカルな音だけが聞こえている。薄暗い司令室の片隅でハルカは独り、端末の画面を睨んでいた。節電を謳う組織方針で、時間外の照明利用は必要最低限に絞られており、一角のシーリングライトとディスプレイのバックライトの人工的な光だけが、その姿をぼんやりと照らしている。ふと、ハルカは背筋を伸ばし、頭を掻きながら首を左右に揺らした。傍らに置いてあるマグカップの冷めきったコーヒーを一気に飲み干す。黒いカップをデスクに戻すと、誰にともなくひとりごちた。
「……もう残ってる仕事、ねえな……」
手元にある仕事は、細かいものも含めて粗方片付けてしまった。仕事が無いとなれば、あとは部屋に帰って寝るだけだ。時間も時間な訳で、一般的にはこのような時間まで勤務を続けている方がおかしいのだろう。ただ、ハルカにしてみれば、仕事をしている時間の方が圧倒的に『楽』なのだ。特に今日のような日に限っては──さて、寝ることを躊躇うようになったのはいつからだろう。
とは言え、最近満足に休養が取れていないのも事実だ。そろそろ自分の意に反して眠りに落ちてしまうこともあるだろう。ここは観念して部屋に戻り、少し横になるか。そう考えながら立ち上がった瞬間だった。
チカッと瞬くように視界が白くなる。続いて側頭部から脈打つように痛みが襲う。いつもの偏頭痛だ。たまらず言葉にして声に出す。
「……頭……いてぇ……」
なおも絶えず続く痛みにズルズルとしゃがみ込む。どうやら意識しないうちに無理し過ぎたらしい。普段よりも長く続く痛みに冷や汗が噴き上がってくる。早く鎮まることを一心に念じながら、頭痛薬のストックに思いを巡らせていたとき、後頭部を貫くようにさらなる痛みが突き抜けた。
「……ッ! ぁ……」
目の前が真っ暗になる。前につんのめるように倒れ込み、そのまま意識も遠くへ持っていかれてしまった。
身体が焼けるように熱い。辺り一面は炎に包まれ、自分はと言うと、胸から下の全てが瓦礫に押し潰されている。もはや熱以外の感覚は失われており、自身がどのような体勢でその場にいるかすら判らない。
ただひとつ解るのは──このままでは大切なものが全て奪われていくということ。思考するよりも速く、失われゆくものたちに向けて手を伸ばす。枯れ果てた声でそれらの名を叫ぶ。
決死の覚悟を纏って去っていく紅い背中。次第に差し出した自分の右手は決して届くことが無いと思い知らされて、ハルカは力なく腕を下ろす。
「俺を……置いていかないで……くれ……」
何度も何度も試して、結果は変わらないと知っているのに、なぜ、いつも──。
「──……ッ!」
「……良かった。気がついたかい」
「……シズク」
気がつけば、ハルカの身体は居室の中二階にあるソファに横たわっていた。掛けられた声の方向を見ると、スツールに腰をかけ、片手に携えた本をパタンと閉じて、こちらをうかがうシズクの姿が目に入る。
長身のハルカにはかなり手狭なソファだが、その扱いには慣れている。半身を起こそうとみじろぎすると、額にはご丁寧に冷却ジェルシートが貼られていることに気がついた。おかげでハルカの意識を奪うほどに酷かった頭痛は幾分か和らいでいた。
シズクは「ハァ」とひとつため息をついてから、聞き分けの無い子供を叱る教師のような面持ちで口を開いた。
「見つけたのが僕で本当に良かったねえ。これがリュウセイやノゾミが相手だったら大騒ぎだよ」
「……悪ぃ」
ハルカはバツ悪そうに目線をずらし、頭を掻いた。シズクはそんなハルカの様子を予想できていたとばかりに、呆れたような、困ったような表情で見つめる。
「……また眠れてないのかい?」
「…………」
「最近ちゃんと食べてるみたいだし、出会った頃と比べたら、だいぶ顔色は良くなったけれど。君はなかなかどうして」
4年前、銀河連合から突如として来訪したシズク──当時彼を迎えたハルカは、それは酷い顔をしていたのだろう。自分では覚えていないが、特に最近になって、シズクが時折嬉しそうにハルカの変化を指摘していたものだから、余計にそうだったのだと認識させられた。
「…………」
眠れないのは何も今に始まったことでは無い。何度も医務課に呼び出されてきたし、始めは治療する気もあったが、一向に改善する気配が無いので次第に足が遠のいた。原因はたったひとつ、判っている──8年前のあの日の光景が、脳裏に焼き付いて離れないのだ。
それでも、最近は──キズナゲイザーが5人揃ってからは、ほんのわずかではあるものの、ハルカの睡眠状況は改善の兆しを見せていた。それに伴って慢性的な偏頭痛も少し落ち着いてきていたため、先ほどのような耐え難い頭痛は本当に久しぶりだった。ハルカ自身にとってもこの変化は不思議なものだったが、特に何の疑問も抱かずに、ぬるま湯に浸かるように状況に慣れていったのだ。そんな中で久しく味わう、文字通りハンマーで頭を殴られたような強烈な苦痛。思えば今日の頭痛は──あれが原因だろう。
「リュウセイのことだろう?」
「……!」
シズクにずばり言い当てられて、思わずビクリと肩が跳ねる。その様子を気取られたのか、シズクは少し躊躇うような素振りを見せてから、口を開いた。
「……また隊長に除隊を掛け合うのかい?」
意外な質問に、少しばかり目を見開いて、思い出す。リュウセイがキズナシステムの適合者だと判った際、キズナゲイザーへの加入に真っ先に、なおかつ真っ向から反対したのは自分だった。こんなことも忘れてしまっていたのかと自分の調子の良さにまた辟易としながら、ハルカは首を振る。
「……いや。さすがにそれはもう無い。アイツはアイツなりの覚悟で向き合ってるって……わかってるつもりだからな」
そう、リュウセイの覚悟は本物だと、もう十分すぎるくらいにわかっている。尊重してやりたいとも思う。だが、その覚悟は雪だるま式に膨らみ、重くなり、遂には今日、リュウセイの身を傷つけた。
ステラダイナマイト──キズナアカツキの編み出した固有技。大剣・アカツキブレードを携え、炎を全身に纏い敵へ一直線、突撃する。設計上の機構として考えうる、高威力の技ではあったが、装着者への反動があまりにも大きいことを危惧し、リュウセイには敢えて告げていなかったのだ。それをリュウセイは自分で見つけ出し、躊躇なく放った。自分ではない、誰かを助けるために。
変身解除したリュウセイの身体には、無数の火傷と痣が刻まれていた。それでもなお、人々の助けになれたことを笑って喜ぶ姿に──8年前に失った彼の父親の姿を垣間見て、背筋が凍った。褒めてやることはおろか、叱ることも、怒号を飛ばすことさえも、そのときのハルカには──
「何もできなかった」
俯いたまま、覆うように片手を顔に当て、後悔を口にする。
「アイツが傷つくのを、黙って見ていることしかできなかった。アイツが抱えているのは身を滅ぼす覚悟だと知っていながら、見逃すことしかできなかった。なんて声を掛けたらいいのか、俺には何も、わからなかった……!」
このまま放っておいた先に見える結末はただひとつだ。8年前の事故で、リュウセイの父親──初代キズナアカツキこと暁シンセイはチームメンバー、家族、そして大勢の組織職員の命を救うため、自らの命をいとも容易く投げ打った。人々を救う職務を全うした称えられるべきヒーローなのに、ハルカはどうしてもそれが許せない。そこまでする必要は無かった。あの場には俺もいたのに。なぜもっと頼ってくれなかったんだ。
今、あの背中と、リュウセイのシルエットが重なろうとしている。今度こそは大切なものを護らなければならないと、達成するのは自分自身のこの手だと誓ったのに。それなのに、いざというとき、手が伸ばせなかったのは、なぜだろう。
「……ハルカ」
シズクは目を伏せながら、ハルカの言葉のひとつひとつを丁寧に聴いていた。ゆっくりと目を開くと、ジッとハルカを見つめて口を開く。
「君は──きっと恐れているんだね。リュウセイやみんな……そして君自身が変わることを」
「恐れてる……? 俺が?」
予想外の言葉に、ハルカは思わずオウム返しに聞き返す。
「僕は君に起きたこと、詳しいことはわからないけれど。君はおそらくずっと、恐怖という名の瓦礫に挟まれて、身動きができないままで戦っている。僕にはそう見える」
シズクはハルカに向けてとつとつと、静かに語りかけるように続ける。
「そこから抜け出すには君一人じゃダメだと、ここ最近になって君自身ようやく解ってきたんだろう。だからこそ君に良い傾向が表れ始めた」
「…………」
「ここからが本番だよ、ハルカ。君が恐怖の瓦礫から抜け出せるかどうか。差し伸べられた手を掴むかどうかは、君次第だ。ただ、僕らはいつでも君を助ける覚悟はできている」
シズクは目を逸らさず、ハルカを見つめている。その視線に応えるように、ハルカは顔を上げた。
「……それは俺からお前らに対しても等しい、ってとこか」
「ふふ、そうだね。ハルカも僕らに、手を差し出しておくれよ。僕らもいざという時に掴めるよう、努力するからさ」
ウィンクするシズクを見て『こいつの話はいつも比喩っぽくていけねえな』などとぼんやり考えながら、ハルカはぽつりと呟いた。
「……俺たちは、5人でひとつのチーム。5人でいる意味を……考えろ、か」
心のつかえが完全に取れたわけでは無いが、自分が成すべきことがぼんやりと見えてきた気がする。そんな様子を感じ取ったのか、シズクがニッコリ微笑みながらスツールから立ち上がった。
「顔色、だいぶ良くなったねえ。水でも飲むかい? それでまたひと眠りするといい」
答えを聞かないまま、シズクは給湯室へと立っていった。起こした半身を再びソファに横たえ、天井を仰ぎ見る。
次にリュウセイにあの日のキズナアカツキの面影を見たとき、自分は手を伸ばすことができるだろうか。いや、必ず手を伸ばして──掴むのだ。大切なものを今度こそ護り抜く。その使命を達成するために、皆を信じて、恐怖の中から手を伸ばす。今日の自分が何もできなかったとしても、皆が付いているから、皆のために、明日の自分を変える。
まずは明日、アイツの無鉄砲な行動を叱って……あの技の制御を特訓しなきゃな──そんなことを考えながら、ハルカは静かに目を閉じた。